作詞は人の心を写し、曲はワード募集の集合体

私は、高校二年から20歳までお付き合いしている彼女が居ました。

大好きで大好きで、いつも彼女の事を考えているうちに、何か「書」として書き残したくなりました。

そこで、始めたのが「詩」です。自分が何を思い、何を考えているのか?19歳の私が一生懸命思い焦がれた気持ちを文字に起こすことで何を感じるのか?など色々考えたことを当時、数冊のノートに書きました。

私は作曲は出来ないので、作詞をするまでに終わり、それを彼女に渡してしまったので手元にすらありません。

しかし、その時の気持ちは鮮明に覚えています。

もちろん、彼女が好きでその気持ちも詠いました。

それだけではなく、自分の人生、いつまで彼女と居られるのか、結婚はするのかしないのか、墓は一緒に入れるのかなど、本当に先のことまで考えたものです。

詩を作るから「作詞」、曲を作るから「作曲」となりそれが合わさる事で一つの歌が生まれるものと感じます。

当時、書いていた時も曲のイメージは沸いてませんがこの詩を呼んだ人はどんなイメージを抱き、どんな風景を想像するのだろうか?と考え、私自身も相手のイメージを一生懸命考えました。

1曲出来るまでのフローとして、まずメロディーが先に出来てから詩に合わせると聞いたことがあります。

私のイメージでは作詞してそれにメロディーを合わせると思っていました。

全ての作詞家作曲家がそうだとは思いませんし、作詞と作曲が別の人であれば尚更順番に決まりはないと思いますがそういう文化に驚いたことを覚えています。

1992年の24時間テレビで「サライ」という曲が出来た時のことを覚えています。

視聴者から歌詞(ワード)を募集して、谷村新司さんが作詞、加山雄三(弾厚作)さんが作曲しました。

ホントに1日で仕上げ、ランナーは間寛平さんだったと思いますが、ゴールまでに曲が出来てエンディングで披露していたと思います。

それが24年経った今でも歌われています。

これが、音楽なのだと感動したのを覚えています。

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